プロフィール

ActiveLife 整体院誕生までのストーリー

不健康極まりない高校3年生~社会人初期

ごく一般家庭に生まれて、少しやんちゃに育ってきた私は中学、高校と6年間陸上競技部に所属し、主に長距離選手として活動していましたが、もともとロック好きの私は陸上部に入った結果ろくに成績を残せなかったのにも関わらず、高校3年間バンドに明け暮れる事なく終わったことをすごく後悔しつつ、高校卒業後、高 3 の時に組んだロックバンドで活動しながら8年間の工場勤務をしていました。
日勤、夜勤を繰り返しながら空いた時間はバンド活動、夜はあまり家に帰らず、飲酒や喫煙は当たり前で『体に悪い生活=ロックでかっこいい』と思っていた時代を過ごします。
初めてのぎっくり腰を経験したのもちょうどその頃です。

初めてのぎっくり腰

当時働いていたメッキ工場での運搬作業中にバランスを崩してぎっくり腰発症。
身体が 90 度に折れ曲がったまま激痛で少しも動かせず上司に担がれてそのまま整形外科に行きました。
初めての経験で何もわからないままレントゲンを撮り、コルセットと湿布、痛み止めを処方され、1週間程度は体を使わない事務仕事を手伝っていました。
痛みが取れて日常を送るようになりましたが、事あるごとに 2~3 日で治るプチぎっくり腰を繰り返すようになりました。
何度か繰り返しているうちに総合病院を受診しMRIを撮り『椎間板ヘルニア』だと診断も受けました。
しかし、その時以外は腰痛があるわけでもなく特に気にしていませんでした。
最大の悪夢が忍びよっているとも知らずに、、、

柔道整復師専門学校入学とぎっくり腰を繰り返す日々。

 

数年を経て少しずつまともな人間になって今の奥さんと出会い長女が生まれた時には私はこの業界に入ったばかりの頃でした。
自分の腰痛ではなく、看護師をしながらソフトボールをしている奥さんや自分の子供たちが将来ケガや身体の不調があったときに自分が治せるようになりたいと思って柔道整復師を目指そうと決心しました。

そして始まった専門学校生生活。
診療助手としてケガの処置や施術の手伝いをさせてもらいながら、3 年間苦手な勉強に取り組みました。
この修行時代の慣れない前傾姿勢での処置や施術で身体への負担は蓄積し、超苦手な勉強、しかも医学という難しい学問の境地のようなことに精神的なストレスもMAXに圧し掛かります。
そしてそれらに耐えかね患者さんを指導しながら自分もぎっくり腰を繰り返す数年間になるのです。
『先生も腰悪いんか?大変やなあ。』
『小さいお子さんもいはるのにお大事にしてくださいねえ。』
本来こちらがおかけするような言葉をかけてくれる方もおられる中で同業者からは
『治療する側がそんなんでどうするんや?』
『ぎっくり腰になる度に院を閉めるんか?』といった
心にグサッと刺さる言葉もありました。

人生最大のぎっくり腰を経験

度重なるぎっくり腰で迷惑をかけながらも修行を積み、そろそろ自分の院を開業しようかという時期でした。
4歳の長女と赤ちゃんの長男、そして奥さんのお腹に次女がいる状態での旅行の朝でした。靴下を片足立ちで履こうとした瞬間今までに経験したものとは比べ物にならない痛みが私の腰を襲いました。
直後に床に倒れこみ、脂汗と極度の痛みで身動きがとれなくなりました。
『あんたいっつもふざけてピキッとなってんなあ』と奥さん。
『あかんわ、ほんまにあかんやつや。』と冷蔵庫からアイシングを取ってきてもらい、しばらく冷やしました。
30 分ほど横になった状態から壁などをつかまりながらなんとか超激痛に耐えながら起き上がり、救護ボックスから奥さんにテーピングを探してもらい貼り方を伝えながら急性期用コルセットとで何とか生まれたての鹿のようにプルプルと立っていることができますが、どうすることもできません。
しかし 4 歳の長女が楽しみにしていた旅行をこんな理由でキャンセルするわけにはいかないという一心で強行。
運転なんかできるはずもなく助手席で振動から守るようにお尻を浮かせ、天井の手すりを思いきり握りしめ、高速ではカーブや車線変更の度に絶叫し、しばらくの余韻に苦しみながら 3 時間程度で目的のホテルと遊園地に到着した時には支えていた腕と精神が疲労困憊で限界でした。
田舎の遊園地で園内の傾斜が多く長男の乗ったベビーカーを杖代わりに押しながら奥さんと長女にかなり遅れを取り不定期に襲ってくる激痛に膝が崩れて転倒しているのを他の家族連れが見る中身体を激痛に歪ませながら進みます。
長女と長男、奥さんが乗るメリーゴーラウンドをビデオ撮影しながら、痛みと情けなさに人目を気にせず嗚咽しながら涙しました。
奥さんからは
『ちょっとあんたあ、離婚前に最後に家族旅行してる家族みたいやし止めてえなあ。』
と言われても涙が止まりません。

今もビデオには私のすすり泣き声が記録されています。
子供たちの為に奥歯を噛みしめながらもなんとか 2 日目も耐えて、帰路に着きます。
また、助手席で一人激痛と格闘しながら、、、

あれ?いつもと違う?

通常 2~3 日で歪みながらでも仕事はできる状態までは回復していたのですが、旅行から帰り、明日から仕事だというのにその夜の痛みの感じから翌朝出勤出来る気が全くしなかったのです。

日が変わってその予想が的中します。
動けない、、、痛みが全くマシになっていない、、、どころか
悪くなっている気さえする。

当たり前です。
あろうことかぎっくり腰の急性期である 48 時間まるまる田舎の遊園地で山登りのようなことをしていたのですから。
当時の院長に連絡し休むことを告げました。覚悟はしていましたが何度も何度もそんな理由で休むことがあっての今回です。
院長の『はい。』の一言で電話が切れ、私は青ざめました。
しかし休んだからには前向きに治すことを考えないといけませんが、
今回は 1 日、2 日、3 日経っても全くよくなる兆しがなく、
旅行は行けたのに帰ってからベッド上から動けなくなり、3 日間はペットボトルに用を足す始末でした。
ついに休んだまま土曜日になり、奥さんから『もう神経ブロック打ってもらうか?』と情けをかけられました。

正直もうずっと寝ていたい、治療家という仕事も辞めようかと思いながらまた車の振動に耐えながらペインクリニックへ行きブロック注射を打ってもらいました。

天からの贈り物

結局出勤できたのは次週の水曜日で受傷から 11 日目でした。
こんなにも長く辛い期間は初めてでした。
そこから 2019 年 5 月伏見の深草に自分の院『ときおか接骨院』を開業し、ほぼ同時期に趣味で誘われたソフトボールチームに奥さんと一緒に入部します。

人生最大のぎっくり腰を経験してからは、普段腰痛を感じることがないまでに自分の身体をケアしているはずだったのですが、その後も接骨院を休診するほどではないですがソフトボールでの動作で
プチぎっくり腰を 2、3 度経験しました。

やっぱりだめなのかと少し悩みながらも、これは天から授かった自分だけの特権だ!と切り替え、
ぎっくり腰になってきた条件を徹底的に分析しました。

私は柔道整復師の国家資格を取るにあたって様々な医療の座学はしてきましたが、自分の身体を通して座学の知識だけでは到底知り得ないものを得ることができたと、
今ではこの治療家としての仕事をするうえでこの経験にとても感謝しています。

予防医療と保険診療の矛盾に悩む日々

『ときおか接骨院』として開業し、何となく『地域の方に健康面で貢献できたらいいなあ。』とぼんやりとしたビジョンで日々が過ぎますが、保険診療で開業したものの保険の本来の適応範囲である患者さんが来ることは少なく、
1週間に何日も来るような高齢の患者さんが多いのが現実でした。

しかし、何年かやっていると自分の経験からも重症の痛みを改善してあげたいという気持ちから徐々に治療方針も指導内容も『自分で治すセルフケア』『予防医療』に固まってくると、こういった週に何回も通いたい高齢の患者さんとのすれ違いが多くなり治療方針にも不満を言われることが多くなってきます。

そうなってくるとますます健康保険を使っての診療体系に矛盾を感じ、保険の制限で自分の治療やアドバイスなど、消化不良で終わり、患者さんにとっても、私にとっても良いとは言えないのでは?と強く感じるようになりました。

自費移行~ActiveLife 整体院へ

保険診療の抱える大きな問題点として私は、患者さんがどうしても受け身になりがちだというのが挙げられると思います。
これは患者さんが悪いというのではなく、接骨院や整形外科が行う保険診療のイメージにあると思います。あとは料金的な通いやすさも。

関節の痛みに代表される整形外科的な体の不調というのは自らのケア不足、ケア不足とは言わずとも筋力の限界、疲労の蓄積といった原因になります。
手術以外での痛みを取り除く方法を考えた場合に、少なからず患者さんの持つ身体の力の協力も必要となります。
私が提供してきた施術は文字通り患者さんごとのオーダーメイドであり自分で治すセルフケアをサポートする形をとっています。
自分の身体は自分で治してこそアクティブな将来に自ら進んでいけるのです。

昭和の終わりに生まれためちゃくちゃ昭和くさい男(プロフィール)

 

時岡哲也(業界歴 12 年)

  • 遍歴:昭和 59 年 11 月 30 日生まれ。
  • 砂川小学校→藤森中学校→鳥羽高校→社会人 8 年経験後、仏眼医療専門学校。
  • 平成 29 年 5 月 ときおか接骨院開業→ActiveLife 整体院へ。
  • 妻と 4 人の子供と暮らす。
  • 経営理念
    『根本改善を諦めたお客さんを復活させる。そしてこれからの超明るく楽しい将来を一緒に創造していく』
  • 趣味
    筋トレ(自重トレーニング)、読書、たまにランニング。
    音楽ライブ活動(アコースティックパンク)、たまに絵描き。
    ロックンロールをはじめとする音楽鑑賞。
これから出会うあなたへ

初めまして。私は少々暑苦しい性格かもしれませんが、人情に厚いのは自負しております。
私が元重症腰痛患者であって、今超パワフルに生活しているように、あなたのそのお悩みは改善に導くことができるのではと思っております。
決して、最後まで見放すことがないことはお約束します。

ぜひ私と一緒に、諦めていたアクティブな将来を取り戻しましょう。

ご予約はここから
075-777-9570
LINE お友達登録で予約!

タイトルとURLをコピーしました